診療所の看護師として小児看護学会のセッションにお声がけ頂いたり、小児看護の雑誌などでの診療所の事の執筆などを頂き、大学でも講義をお任せ頂くことも良くあるのです。色々と自分の取り組み、診療所という特性から考えられる看護実践のありようなどお話しさせて頂いています。
いろんな事が診療所でも看護師は出来る。小児看護として子どもの健康の回復と増進や発達への援助を根元に持ちさえすれば、「今何もしていない」「忙しいから出来ない」から、何もしていないなかで子どもたちと関わっているか、忙しいの中に看護の意図性を盛り込んだ忙しさに出来ないか?など自問自答です。
しかし、少しどこかで述べさせて頂きましたが、
現実は看護師はこんな風に思っている方もいます。
「診療所は医師に診察を受けに来るところ」
「雑務が多いから看護が出来ない」
「結局は医師が医院長であり、雇用者であり、責任者であるため、看護が何できるかより、診断・治療が中心。看護が何かを考える余裕なんてない」
これが現実の診療所看護である事実はあるかと思います。看護が責任を持つ前に責任を持たせてもらえるか?看護の意見は治療の意見の中で対等にあれるか?なにより、看護がその責任を請け負う覚悟はあるか?
細々、気楽にで地域の子どもたちの病気や苦痛を伴う処置検査のなにの役割を担えるのか毎日自分は振り返ることにしています。
内省的省察は看護師同士で無くても出来ます。クリニックの中で他のスタッフと話し、自分の看護を日々見返したいものです。